怒りを含んだ家臣一同の視線が家康に集まる。
家康「降伏は受け入れぬと、われらから申し上げる」
家康が言い、使者に向かって続けた。
家康「武田に、干上がるか討ち死にするか選ばれよと申し伝える。…織田様はそれでよろしいか」
使者がうなずき、陣を出ていった。大きなため息をつき、万千代に目を向けて、家康がぼそりと言った。
「そう、うまくはいかぬものじゃな…」
降伏が許されない以上、武田方には戦うほかに道はない。一斉に討って出た城兵は徳川軍の迎え撃ちに遭い、全員が討ち死にした。これほど容易で、こうまで後味の悪い戦はなかった。
このあと、急速に勢いを失った武田方は敗走を続け、天正10(1582)年3月、甲斐に追い詰められた勝頼が自刃。武勇を誇った名門・武田家は滅亡した。
同じ3月、安土城を発った信長は、信濃の上諏訪で、武田征伐の論功行賞を行った。
「ではこれより武田遺領の仕置きを伝える。甲斐は河尻秀隆へ下さる。ただし穴山信君殿知行分は除くこととする。上野は滝川一益に下さる。信濃は森長可らへ」
河尻、滝川、森は織田家家臣。穴山は武田方から徳川に下った武将である。
このとき家康は、目覚ましい戦功を高く評価され、駿河一国を信長から与えられた。三河・遠江と合わせ、3か国を領する大名となったのである。
[次回] 第48話「信長、浜松来たいってよ」あらすじとネタバレ
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