徳川家康が灸をすえてもらう場面があるけれど、
灸はいつどのように広まったの?
灸はいつどのように広まったの?
真田丸の第6話「迷走」で、伊賀越えで疲労困憊の徳川家康が、本多正信に灸をすえてもらう場面があります。
現代でこそ鍼灸治療はおなじみですが、『お灸』はいつごろ日本に伝わったのでしょうか。
灸の豆知識
灸は中国から伝わった漢方療法である。奈良・平安時代にはすでに公家の間で用いられており、平安末期から鎌倉初期の公卿・九条兼実の日記『玉葉』や、戦国時代の公卿・山科言継の日記『言継卿記』などに灸の文字が見える。
庶民への灸の普及は、12世紀後半に成立した絵巻『病草紙』に見ることができる。「小舌の男」という場面に、口腔の病を患った男に灸をすえる僧形の男が描かれている。江戸前期の俳人・松尾芭蕉は、紀行文『奥の細道』の序文に「三里に灸すゆるより」と記している。
灸の普及は、江戸時代の数多くの鍼灸書の出版にも見ることができる。その先駆けは、16世紀の漢方医で、足利将軍や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などに重用された曲直瀬道三が編纂した『鍼灸集要』である。道三は当時の新しい中国医学を日本に導入し、以後の漢方医学の基礎を築いた日本医学中興の祖と言われるが、ほかにも多くの鍼灸の本を著した。江戸初期の儒学者・貝原益軒は医学にも通暁し、その著書で庶民への啓蒙的養生書『養生訓』には、灸の効用、製法、施灸後の注意点などが細かに記述されている。
ちなみに家康は、自身で薬を調合するなどさまざまな健康法を取り入れて、75歳まで長生きした。その家康が、生涯に一度、生死に関わる大病にかかったことがあるという。当時死亡率の高かった廱という病気だが、医師の糟屋長閑が塗り薬と灸の治療を行って命を取りとめたと言われる。
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