己のできるかぎりのことをする
史実では賤ヶ岳の七本槍に数えられ、武勇で名を馳せている片桐且元。真田丸では、大坂城内や徳川家との調整役として奔走する『中間管理職』さながらの役回りを演じています。
片桐且元を演じる小林隆さんがインタビューで語った役作りのポイントをご紹介します。
片桐且元とは?
賤ヶ岳の戦いで功をあげた『七本槍』の一人。若いころの名前は助作。官職は東市正(いちのかみ)。秀吉に仕える以前は浅井長政の家臣で、長政の忘れ形見である茶々には格別の思いを持っている。
秀吉の没後は、秀頼の補佐役を務めるとともに、家康との連絡を担当する。『関ヶ原の戦い』後、家康と茶々が対立を深めると、両者の板挟みとなり、豊臣側から徳川側への内通を疑われると、大坂城を出て、弟・貞隆の居城である摂津・茨木城に入る。『大坂の陣』では、息子・孝利とともに徳川方について戦う。
小林隆が語る役作りの秘密
片桐且元といえば『賤ヶ岳の七本槍』の1人として有名なので、撮影入りする前は体を鍛えようと思っていました。そんなとき、三谷さんから頂いだ要望が
荒武者風でなく地方公務員風に
鍛える必要はなかったですね(笑)。
実際に台本を読んでみると、たしかに神経細やかで、いつも板挟みになっています。気苦労が多く、当時の胃薬である『熊の胆』を腰に下げています。この薬袋は小道具さんの計らいなんです。僕が思う且元のイメージは、相手を思い、己のできるかぎりのことをする男。だからこそ秀吉は且元をそばに置いたのだと思います。
撮影に入る前、且元の故郷である長浜を訪ねました。且元の父・直貞は小谷城の落城を悟った主君・浅井長政から忠勤を謝する書状を受け取ったそうです。且元は父にならって長政を支え、長政の娘・茶々に尽くしたのでしょう。直貞の墓から小谷山を見上げながらそのように感じました。
秀吉の没後、石田三成などの重役が次々他界し、期せずして且元の活躍する場が増していきます。秀吉のそばで政治を見てきた且元であれば、すぐに家康の世になると察しがついていたはずです。その状況で豊臣と徳川の板挟みになる苦労はかなりのものだったと思います。
調停役として大坂と駿府を往復する途中に立ち寄ったと言われる誓願寺に且元のお墓があります。この墓前で、勝海舟が涙したとか。江戸幕府と新政府の板挟みになった彼には、感じるものがあったのでしょう。
そして大坂の陣。且元は茶々や秀頼がいる大坂城に大砲を向けることになります。そのとき且元はどんな思いなのか。まだ想像はできませんが、秀吉に怒られっぱなしだった男とはまた違った顔をお見せしたいと思います。
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