5月1日。又兵衛と全登は、道明寺近くの平野まで兵を進めた。
豊臣方の作戦が漏れた。
家康は大和路を行く予定を急遽変更し、軍勢の統率を伊達政宗に任せることにした。
正信は武勇に優れる又兵衛の存在が気になっている。僧侶を使者に立てて又兵衛の陣に向かわせ、播磨35万石で召し抱えると調略した。
又兵衛はこの申し出を一蹴した。
その報告を受けた正信は、又兵衛が徳川の使者に会ったことを豊臣の陣に広め、調略に乗ったという噂を流すよう正純に指示した。
又兵衛は噂を消すのに必死になります。あとは戦で手柄を立てるしかない。大将が焦れば、陣は乱れる。はい、これにて又兵衛の命運が尽き申した
正信のいぶし銀の手口に、家康らが脱帽した。
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信尹が大坂城に入った。幸村は厨に通して対面した。幸村は、信之がいることに目を疑った。
信尹が再度調略に来たのは、大坂城の堀が埋め立てられ、幸村の状況が前より不利になったからだ。
信濃一国ではどうかと大御所様は仰せだ
亡き昌幸が熱望していた信濃一国の国主の座を幸村は迷いなく断った。
やはり幸村は、家康を道連れに死ぬつもりだ。信之はそう確信し、姿勢を改めて幸村に向き直った。信之が説き伏せようとしても、決意が変わるような幸村ではないことは分かっている。
「しかし、死んではならぬ」
「捕まれと申されますか」
「そうじゃ。おれは今度もまた必ずお前を助けてみせる。それがおれの使命だからだ」
真田家のために敵味方となり、犬伏で別れた日、いつか晴れて酒を酌み交わそうと誓った。
「おれはまだその約束を果たすつもりでいる。それを言いに来た」
信之は立ち上がり、「今生の別れではない!」と言い残すと、振り返ることなく出ていった。
茫然と見送る幸村の頬に、信尹が手を当てた。
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