12月11日放送の真田丸 第49話『前夜』の詳細なあらすじです。
ネタバレ注意!
あらすじ
信之は、大坂に行って幸村に会うと稲に話した。稲は懸命に止めようとした。敵将と面会するなど、事と次第によっては命に関わる。だが、信之の意志は固く、稲が折れた。
「必ず生きて帰ってきて下さいませ」
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大坂城の大広間で、秀頼、五人衆、治長ら豊臣の直臣、大蔵卿局とで軍議が開かれた。幸村の考えは、まず京を押さえることだ。そして伏見を本陣とし、徳川勢の足並みが揃わぬうちに一気に攻め崩そうというものだ。全軍の士気を高めるためにも、秀頼には伏見城で采配を振るってもらいたいと考えていた。
秀頼は納得したが、大蔵卿局は秀頼の出陣に反対した。
「あくまでも敵を迎え撃つのは大坂城です」
すると幸村が
要害が出来上がっていればあり得たかもしれませぬ。が、間に合わぬ今となっては、この城に執着するは愚策です
と辛辣に批判し、広間が静まり返った。
沈黙を破ったのは又兵衛だ。勝永、重成と3人で考えた策があるのだという。重成が絵図面を広げ、勝永が一同を見回して口を開いた。
「敵は大軍。必ず広い南側から攻めてくる。これに対し、われらは天王寺に兵を進め、この一帯を固めて迎え撃つ」
秀頼は城にいて、吉報を待っていればいいという。盛親と全登が絵図面を覗き込み、城の東側と背後からの攻撃に弱点があると指摘した。幸村も絵図面を見て、又兵衛らの策を検討したうえで、平野川を指した。
「平野川の堤をあちこちで切っておこう。さすればこの辺りは沼地同然。東から城に近付くことはできぬ」
皆が合意し、笑みを交わした。
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慶長20(1615)年4月22日。秀頼のもとに家康から最後通牒ともいえる書状が届いた。秀頼が大和郡山城に移れば兵を退くといい、牢人を連れて行くことは許さないという内容だった。
「徳川とはこれにて手切れといたす」
秀頼が、ゆっくりと文を破った。
徳川方に属する信吉が総大将を務める真田勢は、山城と河内の国境に布陣した。そこに思いがけず信之が姿を現して一同を驚かせた。
源次郎と話がしたい。会う手立てはないか
本来なら難しい相談だが、茂誠と三十郎は顔を見合わせ、信尹が真田の陣に来ることを明かした。家康の命で、もう一度幸村に翻意を促しに行くという。信之にとって好都合な話しだった。
[関連記事] ・真田丸 矢沢三十郎は信繁の右腕!ムードメーカー迫田孝也が語る役作り4月29日。樫井において、大野治房勢と徳川方の浅野勢が衝突した。大坂夏の陣の始まりだ。
この戦で、団右衛門が討ち死にした。
大坂城の幸村は、ほかの五人衆と重成を厨に集め、徳川の進路を予測しつつ地図上で指を動かした。
家康の本陣は、奈良大和路を通って生駒山の南の隘路を抜け、河内へ入る。前のときがそうだった。一方、秀忠の軍勢は、山の西側、東高野街道を進んでくる。まずはここで食い止める。道明寺だ
家康勢が隘路を抜けた道明寺付近で、痛撃を与えようという作戦だ。
道明寺には又兵衛と全登が出陣し、幸村と勝永は後詰めに回る。盛親と重成は八尾、若江を押さえ、東高野街道から来る秀忠の進軍を阻む。幸村の戦略により、それぞれの陣立てが決まった。
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