11月26日放送の大河ドラマ「おんな城主 直虎」
第47話「決戦は高天神」の詳細なあらすじです。
前回(第46話)はこちら。
おんな城主 直虎 第46話のあらすじ「悪女について」
ネタバレ注意!
おんな城主直虎 第47話「決戦は高天神」あらすじ
徳川信康、そして瀬名。
城主とその生母を謀殺された岡崎衆の悲嘆と動揺は大きく、殉死する者や城を去ろうとする者が相次いだ。仕置きをすべく岡崎城に入った家康は、憎しみと恨み渦巻く広間で、岡崎衆に向かって語り始めた。
「その方ら、わしに愛想も尽きたか。…まぁ、そうじゃろうの。わしもほとほと己に愛想が尽きた」
岡崎の面々に戸惑いが広がる。家康が続けた。
「信康は無実。瀬名も信康をかばうためみずから濡れ衣を着た。そして、わしはその2人を守りきれなんだ」
妻とわが子への哀惜、心苦しさを切々と述べ、静まり返る一同に、家康は絞り出すように言った。
「瀬名の願いは徳川が駿河を取ることであった。ゆえに、わしはなんとしても駿河を取りたい。…皆に力を貸してほしい。…貸してほしい」
家康が嗚咽を漏らした。岡崎衆の1人が叫んだ。
「やりましょう、やりましょう、殿!」
一同が次々に立ち、熱っぽい賛意を口々に述べた。控えの席にいる康政が、隣に座る万千代に聞いた。
康政「殿に腹を割ってお話しするよう勧めたはそなたか」
昔、直虎が、逃散した百姓たちを説得するのに自分には力がない。ゆえにそなたらの力を貸してほしい、そう訴えたことを万千代は小声で話した。
「百姓たちは、今なお先代の力強き見方にございます」
遠江支配の要であり、数年前から武田方に占拠されている
「織田に屈せずともよい力を持つため、徳川のこの先のためには、敵を叩き潰す力ではなく、『敵を味方とする力』を鍛えていくべきじゃ」
しかし武田勢もしぶとい。新しい付け城普請の命が出されると、必要な材木の算出をするため、六左衛門と直之が陣に呼ばれた。万千代が、ぐっと若武者らしくなっているのを見て、2人は顔をほころばせた。
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このとき直之が手柄をあげる。六左衛門と人足らの雑談に、引っ掛かりを感じたのがきっかけだった。
「井伊の竜宮小僧の話をしておったら、同じような話がそこここにあるらしく」
スケどん、たんだぼっち、河三郎。最後の名に覚えがあった。高瀬様の生まれ育った土地ではそう呼ぶと聞いたことが…。待て、高瀬様はどこから来た?武田の里ではなかったか?2人は、「河三郎」と口にした人足を捕らえ、万千代の前に突き出した。
「武田の放った間者であったらしい」
万千代は満面に笑みを浮かべて人足らを見た。
「お前ら、もはや武田には戻れぬであろう。話によっては、俺のところで抱えてやってもよいぞ」
高天神城の水の手を切れば、敵方の降伏が早まる。万千代はそう考えていた。それには、いくつもある水源を知らねばならない。笑顔のまま、万千代は問うた。
「高天神の井戸は、どこにあるか知っておるか?」
万千代から届いた文を読み、直虎は驚倒した。
「こ、こたび、高天神城の水の手を切ったことにより、ご加増を受け、2万石になったと」
南渓、昊天も、文字通り飛び上がった。
「それではもう井伊谷と変わらぬではないか!」
文の続きを、直虎は声に出して読んだ。
『ついては、中野と奥山をこちらで召し抱えたい。これは徳川の殿の望みでもある』
2人を行かせるには、主である近藤の許しが必要となる。が、同じ徳川に仕える身、そこはなんとかなるだろう。今は万千代の胸中を知りたい…。急ぎ旅支度を調え、直虎は高天神へと向かった。
「…敵を味方とする力」
「まぁ、実のところは戦いたくないのですよ。殿は。戦が全くお好きではないそうで」
万千代が語る家康の考えに、直虎は深い共感を抱いた。かつて政次と2人、戦わぬ道を必死で模索したことが思い返され、涙さえ滲んだ。
「強くなるとよいのぅ、徳川が。戦の嫌いな方が強うなれば、戦のない世が見られるかもしれぬ」
「しますよ、俺が」
いくぶん胸を張って万千代が言った。
「徳川を日の本一、殿を日の本一の殿にします。俺の仕える殿なのですから。なっていただかねば困ります」
自信にあふれ、ふてぶてしくも見える表情に、確かな成長が感じ取れた。直之と六左衛門を万千代のもとに送ることを、このとき直虎は決意していた。
長引く籠城戦に、突如、変化が訪れた。
「一大事にございます。高天神より、ただいま降伏いたしたいとの矢文が飛んでまいりました!」
矢文には、城兵の助命がかなえば、高天神のみならず、武田方が守ってきたほかの城も明け渡す旨が記されていた。徳川の完勝に近い条件である。
だが──。
陣中で開かれた評定の場を訪れた織田家の使者は、思いもかけないことを口にした。
「降伏を受け入れてはならぬ。高天神は、力攻めで落とすようにと織田様のお指図でござる。不服とあらば、ここからは織田が戦を替わってもよいが」
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怒りを含んだ家臣一同の視線が家康に集まる。
家康「降伏は受け入れぬと、われらから申し上げる」
家康が言い、使者に向かって続けた。
家康「武田に、干上がるか討ち死にするか選ばれよと申し伝える。…織田様はそれでよろしいか」
使者がうなずき、陣を出ていった。大きなため息をつき、万千代に目を向けて、家康がぼそりと言った。
「そう、うまくはいかぬものじゃな…」
降伏が許されない以上、武田方には戦うほかに道はない。一斉に討って出た城兵は徳川軍の迎え撃ちに遭い、全員が討ち死にした。これほど容易で、こうまで後味の悪い戦はなかった。
このあと、急速に勢いを失った武田方は敗走を続け、天正10(1582)年3月、甲斐に追い詰められた勝頼が自刃。武勇を誇った名門・武田家は滅亡した。
同じ3月、安土城を発った信長は、信濃の上諏訪で、武田征伐の論功行賞を行った。
「ではこれより武田遺領の仕置きを伝える。甲斐は河尻秀隆へ下さる。ただし穴山信君殿知行分は除くこととする。上野は滝川一益に下さる。信濃は森長可らへ」
河尻、滝川、森は織田家家臣。穴山は武田方から徳川に下った武将である。
このとき家康は、目覚ましい戦功を高く評価され、駿河一国を信長から与えられた。三河・遠江と合わせ、3か国を領する大名となったのである。
[次回] 第48話「信長、浜松来たいってよ」あらすじとネタバレ [no_toc]
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