ぽろぽろと涙をこぼしながら、寿桂尼は直虎の手を取った。
寿桂尼「どうか、わが亡き後も今川を見捨てないでおくれ。そなたの才覚をもって太守様を支えてほしいのじゃ」
直虎「…ご安心くださりませ」
複雑な心境のまま、直虎は手を握り返した。
館に戻った直虎は、すぐに政次と話をした。
直虎「大方様は、縁のある方一人一人にお別れをしておられるそうじゃ」
政次「最後のお務めとお思いなのでしょうな。…今川の家臣や国衆の多くは、先代や先々代に受けた恩義がございます。大方様と会うことは、それを思い出すことになりましょう。少しでも、離反を食い止めようとしておられるのでしょう」
直虎「…それでも、われらは寝返るのじゃの。すべての恩を忘れ」
政次「…井伊のお家を守るためです」
その頃、寿桂尼はある帳面を氏真に見せていた。
今川に縁のある者の名がずらりと並んでいる。
その半数近くの名に「×」印がついている。
井伊直虎の頁にも「×」がついていた。
氏真「何ゆえに信用できぬとされたのですか。あのなごはお気に入りかと思うておりました」
寿桂尼「あれは、家を守るということは、きれいごとだけでは達せられぬと言うたのじゃ」
重厚で力強い声で言った。
寿桂尼「いつも、われが己を許すために己に吐いておる言葉じゃ。恐らく同じようなことを常日頃思うておるのであろう。われに似たおなごは、衰えた主家に義理立てなど決してせぬ…」
氏真「では、井伊については筋書きどおりに」
寿桂尼は頷いた。
南渓が直虎のもとを訪れた。
今川家が上杉家と結ぶ策を講じているという噂を、直虎と政次の前で話した。
南渓「使いの僧たちが行き交っておるようでな」
両家が繋がれば、武田の三方を囲い込むことができる。もちろん、上杉家と武田家は犬猿の仲だ。
南渓「武田はずいぶんと苦しくはなろうの」
直虎「では、このまま動かぬかもしれぬのですか」
南渓「…徳川の出方一つかもしれぬな」
武田家の頼みは織田家と、その下にいる徳川家だ。家康が考えを変えれば、信玄は戦ができなくなるかもしれない。
南渓はそう語った。
直虎「徳川にそう働きかければよいのではないのか」
直虎はそう呟くと、政次に対してこう言った。
直虎「徳川が武田と組まねば、戦にはならぬのかもしれぬのじゃろう? ならば徳川に、上杉と結び、武田を囲い込むが上策と進言すればよいのではないのか」
政次「おやめくださいませ。さようなことがもし今川の知るところとなれば、何を言われるか」
直虎「井伊は戦を避けるのではなかったのか。これとて、戦を避けることに変わりあるまい!」
直虎の正論に、政次は言い返すことができなかった。
井伊が動き始めたその頃、駿府では「×」を付けられた内通者の粛清が始まっていた。
[次回]
第29話のあらすじとネタバレ!「女たちの挽歌」
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