「今朝方、寺宛てに届いての」
南渓はそう言うと、直虎に封書を手渡した。
そこに記されていた名を見た直虎は驚いた。
寿桂尼からの文だった。
おなご同士、腹を割って語り合いたい、と書かれていた。
南渓「恐らく会えるのも最後になろう。お主も話したいことを話してきてはどうじゃ」
直虎は駿府に向かった。
寿桂尼「忙しいところ、呼び出してすまなかったの」
直虎「めっそうもないことでございます。大方様とお会いするより大事なことなどございませぬ」
寿桂尼「このところ覚えが悪くなっての。さまざま書きつけることにしたのじゃ」
直虎は、持参した包みを開いた。
直虎「井伊で出来上がりました綿布にてございます。後見のお許しを頂きましてから三年。なんとか、かようなところまでこぎ着けました」
寿桂尼は綿布を手に取ると、撫でながら言った。
「そなたがのぅ。…大したものじゃ」
顔はやつれ、背は丸くなった寿桂尼は、ただの老人にしか見えなかった。
寿桂尼「そなた、あれをどう思うておる」
直虎「…あれ、とは?」
寿桂尼「直親のことじゃ。われらが何をしたかは、おおかた察しはついておるのじゃろう。…恨むなと言うほうが無理であろうな。今でも恨んでおろう?」
直虎は、拳を握りしめながら言った。
「家を守るということは、きれいごとだけでは達せられませぬ。大方様のなさったことを責められる者がおりましょうか」
寿桂尼はじっと見つめている。
直虎「狂うてでもおらねば、手を汚すことが愉快な者などおりますまい。汚さざるをえなかった者の闇はどれほどのものかと…」
寿桂尼に目に涙が光っていた。
寿桂尼「そなたから、さような言葉を聞けるとは思わなんだゆえ。すまぬの。
年端も行かぬ小さなおなごが、お家のためにひたすらに鞠を蹴っておった姿は、いまだ忘れられぬ。 …瀬名の命乞いに乗り込んできたとき、徳政を覆しに来た時、そなたがわが娘であればと、ずっと思うておりました」
あれほど強い女であった寿桂尼が、これほど涙もろくなってしまったのか、と直虎は複雑な心境だった。
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