その夜、直親は龍潭寺を訪れた。
「しの殿はずっとあんな様子なのか?」
「もともと涙もろくはあったが、このところ浮き沈みは激しくてな」
直親はそう言うと、ため息をついた。
「側女を持とうかと思っている」
と直親が明かした。
子を残すのは当主の役目だというわかるが、今のしのに側室が受け入れられるだろうか。
次郎はとてもそうは思えなかった。
「お家のためじゃ」
直親の態度や口ぶりに、理由はわからないが引っ掛かるものを感じた。
数日後、突然しのが姿を消した。
しのは書き置きを残していったのだという。
「次郎殿、お恨み申し上げます」
と書かれていた。
直親の側室の話が決まったからではないか、という。
次郎を恨んで死ぬつもりなのだろうか。
そのつもりなら、龍潭寺を選ぶのだろう。
すると、しのを見つけたと傑山(市原隼人)が知らせにきた。
一同が裏庭に向かうと、井戸端にしのがひざまずいている。
懐剣を首元に当てがっているではないか。
次郎はしのの手を掴み、懐剣が飛んで転がった。
「いい加減になされよ!
私はそなたにここまで恨まれるようなことは何もしておらぬ!」
「…私がおとわ様じゃったらと、誰もが思うておる。
…口には出さねど、殿もお方様も、屋敷の皆も…直親様も…」
次郎は懐剣を拾い、しのの前に放り投げた。
「そこまで言うなら、ご自害なされよ」
驚くしのに向かって、次郎は続けた。
「正室が亡くなり、誰もふさわしい者がおらぬとなれば、私の還俗も認めていただけるかもしれぬしの。
私がそなたの後釜になるゆえ、ほれ、早うお取りなされ」
怒りをたぎらせたしのが懐剣を掴んだ。
すぐに傑山が羽交い締めにした。
「決してそなたを還俗などさせませぬ!」
しのが泣きわめいたそのとき、直親が姿を見せた。
取り乱したしのの姿を見て、直親はため息をついた。
これだ!そう思った次郎は
「ため息をつくな!」
と叫んだ。
「なぜいつも、さように他人事なのじゃ。
なぜもっと、ともに悲しんでやらぬのだ。
悩んでやらぬのだ!」
次郎は麝香を取り出し、直親に渡すと
「そなたの女房なのだから、そなたがなんとかせよ!」
怒りが鎮まらない次郎はその場を去った。
とはいえ、子が授かりさえすれば、しの殿は自分を取り戻すだろう。
次郎はそんな思いを抱いていた。
永禄3(1560)年5月。
今川義元から直盛のもとに、尾張への出陣の命が下った。
直盛率いる精鋭の井伊軍団を結成し、尾張に向けて出陣した。
留守を見守るのは直親や政次、左馬助、中野直由ら。
今川軍の総勢は2万5千。織田はわずか3千。
誰もが今川の勝利を疑わなかった戦が始まろうとしていた。
コメント