とわはたった1日で音を上げて館に逃げ帰った。
「出家したその日に戻ってくるなど、辛抱が足りないにもほどがあります!」
千賀が叱責した。
あんな生活は無理だと、とわは言い返すが、
本領安堵と引き換えなのだから、戻ってきては困ると千賀は譲らない。
母が心を鬼にして話しているとわかってはいるが、
「こんな家、出ていってやるわ!」
と言って、館を飛び出してしまった。
昊天は、なぜとわを在家ではなく寺で引き取ったのか不思議だった。
南渓に尋ねると、
「10歳そこそこで今川の下知をひっくり返した子じゃぞ。ご初代様のような”ただならぬ子”と思うたのじゃ。少なくとも蝶よ花よと育てるものではないのではないか」
と答えた。
とわは禅僧見習いの日々を続けていた。
ある日、南渓がとわに声をかけた。
腹が減っているならもらいにいけばよいのではないかと。
「さようなことをしていいのですか?」
南渓が托鉢だと伝えると、とわは托鉢の心得も聞かず、鉢を手にして寺を飛び出した。
とはいえ、托鉢は簡単なものではなかった。
食べ物屋に近づいても追い払われ、どこにいっても邪魔者扱いされた。
畑で盗み食いしていると、通りかかった鶴丸に見つかってしまった。
惨めな姿を見られたとわは、耐えきれず泣き出した。
「出家などもう嫌じゃ!」
「妻とならずとも、僧として竜宮小僧をすればどうじゃ。寺には城を助ける役目もある。妻としてよりも、僧としてのほうが亀を助けられることは多いくらいではないのか?」
竜宮小僧は、困っている人を助けてくれる。同じように、役に立つ僧になればいいのか…
とわは鶴丸に感謝の言葉をかけて、先ほどの食べ物屋に向かった。
腰を痛めた店の主人が、水桶で水を汲めずにいたのを思い出した。
とわは気付かれないように水を汲んだ。
水桶が満たされていることに気付いた店主が驚いていると、とわが様子を伺っているのに気付いて声をかけた。
「われはただのガキではない。竜宮小僧じゃ」
店主は大笑いしながら
「食べなさい、うまいにぃ!」
と言って、とわの鉢に煮物を盛ってくれた。
とわは貪り食べた。涙が出るほど美味しい食べ物だと感じた。
その後も修行の毎日が続いた。
農作業に加えて、座禅や禅問答、仏典の読書も許されるようになった。
考えを改めたとわは、乾いた砂が水を吸うがごとくそれらを吸収していった。
その一方で、竜宮小僧として人を助けることも忘れていなかった。
亀之丞の帰りを一途に待ち続けたとわ改め次郎は、19歳の春を迎えていた。
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