真田丸では、信繁と梅ちゃんの子供「すえ」ちゃんが可愛らしい姿で出演しています。
では、実際には信繁の子供は何人いたのでしょうか。
判明している史実を検証してみましょう。
信繁の子どもたち
真田信繁には少なくとも5人の正室・側室がおり、わかっているだけでも4男8女、12人の子宝に恵まれている。
正室の竹林院(大谷夫人)との間には6人の子供をもうけ、いずれも九度山で生まれている。
- 嫡男 大助
- 次男 大八(後・片倉守信)
- 三女 阿梅
- 四女 あぐり(滝川一益の養女)
- 六女 阿菖蒲
- 七女 かね(犬山城主・石川貞清正室)
2人の結婚は文禄3(1594)年頃とされるが、信繁は朝鮮出兵による肥前名護屋出陣、第二次上田合戦など京都を留守にすることが多く、子作りに励む余裕がなかったのだろう。
九度山では、竹林院は苦しい家計を助けるために真田紐作りにせっせと励んだという。
ちなみに真田紐とは、昌幸・信繁父子が脇差の正宗、貞宗の柄を巻くだめに作った平打ちの丈夫な組紐で、従者や修験道の行者が情報収集も兼ね、諸国に売り歩いたと伝わっている。
正室以外の子供
正室・竹林院が母親ではない子供は6人。
- 長女 家臣・堀田作兵衛の妹(娘とも)の子・阿菊(すへ)
- 二女 家臣の高梨内記の娘が産んだ市
- 三男 豊臣秀次の息女・三好氏(隆清院)が産んだ三好幸信(出羽亀田藩士)
- 五女 お田(出羽亀田藩主・岩城宣隆継室)
- 四男 母の名前がわからない之親(讃岐石田氏養子)
- 八女 名前不詳
信繁は大坂夏の陣の道明寺の戦い伊達政宗の軍勢と戦い、政宗の重臣・片倉景綱の嫡男・片倉重綱(後に重長)の勇猛果敢な武者ぶりにほとほと感心し、二男・守信、三女・阿梅、六女・阿菖蒲の命を重綱に託した。重綱もこれに応え、3人を守り抜き、守信は仙台真田家の始祖に、阿梅は重綱の側室から継室になった。
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