1月10日放送の真田丸 第1話『船出』の詳細なあらすじです。
ネタバレ注意!
あらすじ
元和元年(1615年)。豊臣家を滅亡に追いやった「大坂夏の陣」において、徳川家康を自害寸前にまで追い込んだ一人の武将がいた。のちに「日の本一の兵(ひのもといちのつわもの)」とうたわれる真田源次郎信繁(通称・幸村)である。
この戦からさかのぼること三十三年。大名たちが勢力争いを繰り返していた戦国時代の真っただ中で、信繁は好奇心旺盛な十六歳の若武者だった。
寝返り
甲斐の名門・武田家は、稀代の名将・信玄の死後、息子の勝頼が家督を継いでいる。勝頼は北に上杉、東に北条、西に織田、南に徳川と、有力大名に囲まれつつ、勢力挽回の機会をうかがっていた。ところが天正十年(1582年)一月、勝頼の義弟(信玄の娘婿)・木曽義昌が織田信長に寝返った。これにより、武田の領地の西側が丸裸同然となり、信長は一気に武田の領土へと兵を侵攻させた。
最大の危機を迎えた勝頼は、諏訪・上原城に御一門衆筆頭の穴山梅雪、親類衆の小山田信茂、筆頭家老の跡部勝資など諸将を集めて軍議を開いた。そこで味方のさらなる離反が明かされた。
軍議は紛糾した。跡部は裏切り者の義昌を討つことを声高に叫び、梅雪は武田の本拠・甲斐の新府城に戻り、態勢を立て直すべきだと主張した。
勝頼はそれぞれに耳を傾け、家臣団を見回すと、一人の武将で目を止めた。
「安房守、お主はどう思う?」
意見を求められ、真田安房守昌幸が進み出た。信繁の父であり、のちに戦国きっての名将という名をほしいままにする昌幸も、このときはまだ武田家の一武将にすぎない。
「今は、いったん新府に引くが上策かと存じます。潮を読むのでござる。今は引き時。力をためて、待つのです」
勝頼が頼もしげにうなずいた。
南方
軍議を終え、諸将が帰っていく。昌幸も廊下に出ると、嫡男の源三郎信幸が控えている。
「源三郎。お前は一足先に新府へ戻れ。西も大事だが、南が心配じゃ。そろそろ徳川家康が駿河口に兵を進めてくるころだ」
「なるほど!様子、探ってまいります」
戦国大名たちは、家臣の裏切りを防ぐため、その家族を人質として預かり、城下に住まわせていた。昌幸も新府に屋敷を構えていて、昌幸の妻・薫と母・とりが暮らしている。この日は、昌幸と薫の長女・松とその夫・小山田茂誠が屋敷に来ていた。おしどり夫婦だが、勝頼の差配により武田の結束を強めるための政略結婚だ。
信繁は、甲斐との国境あたりに布陣する敵情を偵察していた。旗に記された「葵」の紋は、徳川勢だ。信繁は偵察に夢中になり、家来の矢沢三十郎頼幸の制止も聞かず、深入りしすぎた。案の定、敵兵に見つかり、危機一髪のところで逃げてきた。
信幸が諏訪から新府に戻ると、信繁は早速、徳川は国境に迫っていると報告した。
「恐らく、西の織田の動きを待って、一気に攻め込むつもりではないでしょうか」
「誰の許しを得て、さように危ういところまで出向いた。勝手なまねをするな!」
信幸が、慎重になるよう促した。武田の存亡を懸けた戦に臨もうとしている今、一人の軽率な行動が味方の足を引っ張りかねない。
「皆、西の織田勢ばかり気にしているので、南のことが心配になったのです」
信繁の釈明は、昌幸の抱いた危惧と同じだった。
先見の明
緊迫した戦況が続くため、昌幸が真田屋敷に帰るのはひと月ぶりだ。側近の高梨内記らを率いて戻り、久しぶりに家族と顔を合わせたというのに、薫の表情が暗い。この日、新府にいた木曽義昌の母親と子どもたちに磔の刑が執行され、同じ人質という立場にいる薫の心に影を落としている。
「一体、武田のお家は、これからどうなるのです」
「新府城は、この真田昌幸が知恵の限りを尽くして築いた、天下に聞こえた名城だ。この新府こそが、最も安全な場所じゃ。安心せい。この真田安房守がいるかぎり、武田が滅びることは決してない。織田信長の好きにはさせん!」
昌幸は自信満々の態度で薫たちを安心させ、信幸と信繁には大事な話があると居室へいざなった。
「武田は滅びるぞ」
昌幸が重苦しい口調で告げた。織田の勢力は「長篠の戦い」のころの比ではないほど強大になっている。信繁が敵情を探ったことが役に立つかと思いきや、昌幸の関心は早くもほかに移っている。
「わしはこの城を捨てることにした」
新府にいれば安全だと豪語した舌の根の乾かぬうちに、新府城は未完成で、予想より早い織田の侵攻に耐えられそうにないと言う。
「源三郎、源次郎、よいか。これは、わが真田家にとって未曾有の危機。一つ打つ手を誤れば、真田は滅びる。この苦難、われら一丸となり、どんなことをしてでもこれを乗り切る。心しておけ」
信幸と信繁は、新府の城下を見下ろす山の尾根に立った。真田家は、長男の信幸の幼名が源三郎で、次男の信繁の幼名が源次郎と紛らわしい。定石を踏む質の信幸は、昌幸の独特な発想を器の大きさの証だと受け止めつつ、しばしば困惑する。一方、ときに奇をてらうのを楽しむ信繁は、命に従っていれば間違いないと楽観している。
三十郎が、息を切らして山道を登ってきた。
「源氏様あるところ、三十郎あり。目を話すなと、父に言われておりますので」
三十郎の父・矢沢頼綱は昌幸の叔父で、真田家を支える重鎮だ。
三人で新府城下を眺めていると、山を登ってくる勝頼、昌幸、梅雪の姿が見えてきた。山腹にある持仏堂に向かうのだろう。信繁たちは持仏堂の裏手に回り、勝頼たちの様子をうかがった。持仏堂では、勝頼が手を合わせ武運を祈っている。その後ろで、昌幸と梅雪も手を合わせている。
「父上が築きあげたこの国を、わしは滅ぼしてしまうのか」
「御屋形様にはわれらがおりまする」
昌幸が励ますと、勝頼の表情がようやく緩んだ。
裏切り
それから間もない二月二十五日。梅雪が織田に寝返った。梅雪は以前から織田・徳川と内通していて、人質となっていた家族をひそかに脱出させたうえでの用意周到に計画された裏切りだった。梅雪は離反したばかりか、徳川が武田領内に侵入するよう手引した。さらには御一門衆筆頭として武田の兵力、軍略などを知る立場にあったため、その一切が織田方に筒抜けになってしまった。
こうした事態に、勝頼は急遽新府城に昌幸、小山田信茂、跡部勝資ら重臣たちを招集し軍議を開いた。跡部が籠城を主張し、信茂が華々しく討ち死にしようと訴えると、昌幸がずいと膝を進めた。
「お待ちください。まだこの戦、負けと決まったわけではございませぬ。御屋形様、ぜひわが岩櫃城へお越しくださりませ」
岩櫃城は上野・吾妻郡に築かれた山城であり、勝頼に本拠の甲斐から撤退を促す思い切った進言だ。跡部や信茂は物言いをつけるが、昌幸は最後まで望みを捨てなければ道は開けると力説した。
「岩櫃の守りは、この昌幸がすでに整え、鉄壁でございます。加えて東は、沼田城を弟の信尹が守り、西の戸石城を嫡男・信幸に守らせれば、信濃と上野を結ぶ道筋そのものが、巨大な要害となりまする」
岩櫃で力を蓄え、再起を図ろうと懸命に説得する昌幸に、勝頼の気持ちが傾いていく。
「……分かった。岩櫃へ行こう」
信幸は廊下に控えていて、昌幸の熱意に感動すら覚えていた。
翌朝、昌幸は真田屋敷を出立し、上野に向かった。岩櫃城に勝頼を迎える支度をするためだ。
新府城では、勝頼を上野に行かせまいとして、信茂と跡部が根拠のない理由を並べ立てていた。
「真田はあくまで信玄公の家来であって、武田家代々の家臣にあらず」
さらに跡部は裏で北条とつながっていると真田への不信をあおり、信茂がここぞと申し立てる。
「御屋形様には、わが岩殿城にお入りいただきます」
跡部と信茂から、信玄の威光をとどめる甲斐の地を見捨てるべきではないといさめられ、勝頼は苦悩の色を浮かべた。
この夜、勝頼は人目を忍んで真田屋敷に信幸を訪ね、甲斐を捨てることはできないと打ち明けた。
「わしが向かうのは岩殿城じゃ。岩櫃ではない。わしは、明日、発つ。だが、お前たちは、わしに従うことはない。岩櫃へ向かえ」
勝頼は、武田の人質を免ずる証文を信幸に差し出した。また茂誠に嫁いだ松も岩櫃に連れていくようにと細やかな気遣いを見せ、勝頼の一存で小山田家の人質を解いた。そればかりか、勝頼の手勢百人ほどを道中の護衛につけてくれると言う。
「武田家を思う、安房守の言葉に嘘はなかったと、わしは信じておる。わが父・信玄への忠義、決して忘れはせぬ」
勝頼が帰ろうとして立ち上がると、隅に控えていた信繁は、立場を忘れて呼びかけた。
「信玄公はもうこの世にはおられません!お考え直しください。やはり岩櫃へ参りましょう」
勝頼はゆっくりと振り返り、信繁をしばし見つめると、笑みを浮かべて歩き出した。その足を止めたのは、今度は信幸だった。
「われらからも御屋形様へはなむけを差し上げます。御屋形様のお手勢百、どうぞ岩殿へお連れください。御屋形様はまさしく真田の旗印。生き延びていただくことこそが、真田の再起の道。御屋形様を守る者を減らすのはわれらの思いに背きまする」
「お主たちだけで、大丈夫か?」
逡巡する勝頼に、信繁が思わず口を挟んだ。
「真田安房守の子たるわれら兄弟。そうやすやすとは討たれませぬ」
「真田……よき一族じゃ」
勝頼がつぶやき、去っていった。
信幸がため息をついた。
「御屋形様は、お優しいお方だな」
「優しくて、そして……悲しいお方です」
信繁は、力になれないのがもどかしい。
翌日には、新府城に火が放たれるという。信幸と信繁はすぐに薫ととりに会い、勝頼によって人質を免ぜられたことと、真田だけで岩櫃にいくことになったと打ち明けた。勝頼が同行しなくなったために、護衛の兵がいない。
「どこに織田方の軍勢がいるか分かりません。野盗もいるだろうし、百姓たちが落ち武者を襲うという話もございます」
「私たちは落ち武者ではありません!」
薫は公家の出身で誇り高いが、武田の威光が失われようとしている今、道中、何が起きるか分からない。信幸に覚悟を促されただけで、気鬱になってしまった。
「また一家そろって暮らす日も、そう遠くないということですよ、母上!」
信繁が嘘も方便とばかり安請け合いすると、薫はようやく重い腰を上げた。
連鎖
あまり時間がない。信幸は居室に取って返し、岩櫃にいる昌幸に宛てて事の次第を簡潔に記す書状をしたためた。その傍らで、信繁はまだ、勝頼の下した決断に納得できずにいる。書状を書き終えた信幸が、庭に向かって「佐助!」と呼びかけ、改めて信繁に向き直った。
「御屋形様は信玄公のご威光を、武田家の名誉を守ることを選んだのだ。それもまた一つの生き方」
庭の暗がりから、音もなく一人の男が現れた。佐助だ。信幸が差し出した書状を受け取り、佐助は素早く去っていった。
翌三月三日の朝。勝頼の一行は新府城を出立し、岩殿城に向かった。小山田一族の茂誠もまた、ひとしきり松との別れを惜しむと、岩殿へと旅立った。
真田家でも、家来たちが手早く旅支度を整えている。勝頼が新府城を出たことは、すぐに周囲に知れ渡るだろう。出立が遅くなればなるほど、岩櫃までの道中で襲ってくるやからが増える。
信幸がいらいらと薫たちをせかしているとき、信繁は丘の上にいて、遠くの道を勝頼の一行が通るのを見送っていた。信繁の思いが通じたのか、勝頼が馬上から顔を上げた。信繁が深々と頭を下げる。静かにうなずいた勝頼の目に涙が光った。
真田家の一行が新府を発ったのはこの日の昼過ぎで、新府から岩櫃まで歩いて三日の行程となる。山道にさしかかり、城下を見下ろすと、昌幸が築城技術の粋を集めた新府城が燃えていた。
勝頼は淡々と馬を進めている。そこに、織田軍の攻撃により諏訪・高島城が陥落したとの知らせが届いた。織田軍を率いるのは信長の嫡男・信忠で、その勢いはとどまることを知らない。
落城や敗北の知らせが届くたび、勝頼の一行から兵が離脱していく。新府を出るときには六百人ほどいた総勢は、いつしか百人を切っていた。
岩殿が近づくと、信茂は迎えの支度をすると勝頼に断りを入れ、茂誠や家来たちを連れて馬を走らせた。その先に笹子峠の関がある。木戸を通り過ぎた信茂は、あとに続く茂誠を振り返った。
「木戸を閉じよ。御屋形様を通してはならぬ」
少しして、勝頼の一行が笹子峠の関に着き、跡部が声を張り上げた。
「御屋形様のご到着である。木戸を開けよ!」
柵の向こうから、茂誠が叫ぶ。
「わがあるじ・小山田信茂、故あって織田方に加勢することになりました」
勝頼の一行に動揺が走った。新府城は燃え、岩殿に入城できないなら、勝頼に行く当てはない。
「……もうよい」
勝頼が馬首を巡らせた。
天正十年というこの年、甲斐の名門・武田家の命運が尽きようとしている。それは一つの時代の終焉であり、甲斐、信濃、上野を舞台に、上杉景勝、北条氏政、徳川家康、そして織田信長ら戦国大名たちかしのぎを削る動乱の始まりでもある。
真田家は、この動乱の中で生き残りを懸けた戦いに挑む。のちに、信幸は徳川家の大名として信濃・松代藩十万石の礎を築く。信繁はその活躍から、真田幸村の名で広くその名を知られることになる。
だが、今は信幸も信繁も盗賊たちに追われ、母や姉たちを守りながら逃げている。戦国という大海原に、「真田丸」という名の一艘の小舟がこぎ出した。波乱万丈の船出である。
(続き:第2話)
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