12月17日放送の大河ドラマ「おんな城主 直虎」
最終回・第50話「石を継ぐ者」の詳細なあらすじです。
前回(第49話)はこちら。
おんな城主 直虎 第49話のあらすじ「本能寺が変」
ネタバレ注意!
おんな城主直虎 最終回・第50話「石を継ぐ者」あらすじ
6月半ば。
家康は、兵を率いて西へ向かった。光秀を見限り、圧倒的な兵力を集めた秀吉軍に合流しようとしたのである。ところがその
秀吉という武将の俊敏さ、したたかさ、行動の的確さに、家康は舌を巻くしかなかった。
直虎は急いでいた。直之らを伴い、堺の中村屋から龍潭寺に戻るや、
「自然。このおじさんとともに逃げよ」
そのとき、恐れていたことが起こった。屈強そうな兵を何人か従え、万千代が姿を見せたのだ。
万千代「その子は徳川で預かりますゆえ、こちらへ」
浮かべた笑いがゆがんでいた。直虎は鋭く言った。
「この子を葬り去るつもりか。…徳川殿が、こうせよと言うたのか。…言うたのか!」
徳川だけではない。明智の一族を根絶やしにするべく、秀吉の手の者がいつ現れても不思議はなかった。後ろ手で自然をかばい、強い口調で直虎は続けた。
「この子は僧にしてしまえばよい。それでもだめならまた何か考える。そなたもそうやって生き延びてきたわけであるし、なんとかなろう」
唇を噛む万千代が、やがてくるりと背を向けた。
「…ありがたいことじゃのぅ」
万千代の報告を聞いた家康は、手を合わせて言った。
「明智の子が生き延びてくれれば、いつか報いることもできよう」
家康の真意である。が、穏やかにそう思えるのには、別の理由もあった。
武田の遺臣が織田方に対して起こした一揆により、甲斐を与えられていた河尻秀隆は殺され、信濃の森長可、上野の滝川一益はそれぞれ本国へ逃走。この地の領有をめぐって、相模の北条家と激しい争いが生じていた。光秀の遺児は、すでに過去の
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それからしばらくして、自然の得度式が行われた。
たちの悪い風邪でも引いたか、そのころから直虎は咳が止まらず、時に高熱を発するようになった。
横になると、龍雲丸の顔が思い返された。
「俺ぁこのあと、南蛮の船に乗らねえかって言われてまして。なんなら、ともに行きますか?」
別れ際、直虎は餞別にと水筒を龍雲丸に手渡した。そして2人は笑顔と、短い言葉を互いに交わした。
「われより先に死ぬなよ」
「そっちもな」
今は、異国の海の上にでもいるのだろうか…。
同じ頃、新野姉妹の長女・あやめが龍潭寺を訪れた。
「実は新野からお願いがございまして…」
今は秀吉に仕える、三女・桜の夫を、徳川に奉公できるようとりなしてもらえないか、とあやめは訴えた。次女の桔梗も、夫に先立たれたばかりだという。
あやめが帰ると、咳がぶり返した。苦しい息の下で直虎は、新野三姉妹を万千代に引き取ってもらうことを考えた。あやめの夫・方久も、商いで出たり入ったりだ。皆で暮らせれば、それがいちばんなのではなかろうか…。咳が鎮まるのを待ち、直虎は南渓に話してみた。
「ここのところのことで思うたのですが…。表の世でうまくいかぬ者たちに対し、逃したり、生き直す場を与えたり、世に戻るための洞穴のような役目を果たすところが要るのではないかと」
ひとしきり考え、南渓はうっすらと笑みを浮かべた。
「逃げ回り、画策し、家を潰しまでし。それでも命脈を保ってきた井伊じゃ。…それは井伊家が負うべき役目かもしれぬの」
それでいい。直虎は思った。
その日から咳が激しく、熱も高くなり、やがて床から離れられなくなった。
様子を見に来た南渓に、直虎は言った。
「見送るばかりの身の上であったではないですか。いつもいつも、私ばかりが生き残り」
ゆえに未練などないと思っていた。いざ死ぬときには、これで終われると、ほっとするのではないかと。
「なれど今、ひどく生きたいと思うておりまする。生きて、この先を、井伊の旗の下に皆が集い、徳川の旗の下に日の本中が集うのを…この目で見たい」
直虎は目を閉じた。どこからか、笛の音が流れてきた。身を起こし、布団から出て、美しい音色を頼りに歩いた。月明かりの下、井戸端で、亀之丞が笛を吹いていた。直虎に気付き、亀之丞は口から笛を離した。
「待ちかねたぞ、おとわ」
そばに立つ鶴丸が、真面目くさった調子で言った。
「おとわ様、遅れるにもほどがございまする」
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二人とも、なぜ子どもになっているのだ?直虎はいぶかり、己の身を見て驚いた。子どもに、とわに戻っていたのだ。行きますぞ、と鶴丸が言った。
「行く? どこへじゃ?」
「見たいと言うておったではないか。この先のことが」
亀之丞が笑って応えた。
「…この先を、見られるのか?」
と言い、はっとして、嫌じゃ! と、とわは叫んだ。
「われにはまだ、やらねばならぬことがある!」
大事ない、と、笑顔のままで亀之丞が言った。
「おとわが俺の志を継いでくれたように、次は誰かがおとわの志を継いでくれる」
そのとき、おーい、と声がし、男の子が現れた。
「おい! 行くんなら、俺も連れていってくれ」
それが、子どもに戻った龍雲丸であることが、とわにはすぐに分かった。でも、なぜここに…?
「では皆様、参りますぞ」
鶴丸が言った。この3人と、一緒に行ける。不意に大きな喜びが押し寄せ、とわは思いきり声を張った。
「いざ!」
8月28日──。
井伊谷には、抜けるように青く、どこまでも高い空が広がっていた。
両の道端は、手を合わせ、涙を浮かべる百姓たちで埋め尽くされた。もの言わぬ直虎を収めた白い
同じ頃、ある海岸に船の残骸と、赤い飾りのついた水筒が打ち上げられていた。
乱戦が2ヶ月に及んだ10月。
北条方が、ようやく和睦に応じる姿勢を見せた。
徳川側の条件は、旧武田領のうち甲斐と信濃を占領し、上野一国を北条領とすることである。この交渉にあたり、使者として家康が選んだのが、22歳、まだ小姓姿の万千代であった。
「そなたにできるか」
「できます。潰れた家の前髪だからこそできる和睦をご覧に入れまする」
万千代は、直之、六左衛門らと手分けして甲斐・信濃をくまなく回り、徳川へ臣従すると誓う国衆たちの起請文を集め歩いた。そして交渉の場に、それらを積み上げた。北条方は、徳川の条件をのむしかなかった。
直虎の死がもたらした衝撃と悲しみから立ち直った万千代は、井伊の魂を受け継ぐ者として、大任を見事に果たしたのである。
三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5か国を領有することになった徳川家は、天下に堂々と物申せる大大名の座へと、一気に駆け上がった。
この功によって万千代は、4万石に加増されるとともに、家康に願い出、ようやく元服を許された。
「今日これよりは、『直政』と名乗るがよい」
「直、政…」
「井伊の者の通字である直、そして小野の通字である政を取り、そなたの名とせよ」
のちの徳川四天王の一人が、誕生した瞬間であった。
直虎が願った戦のない世は、これより30数年後、家康によって実現する。そして井伊家は260年にわたって、江戸幕府の屋台骨をがっしりと支えることになる。わずか10人しか選ばれなかった大老のうち、実に半分の5人を、井伊家が輩出するのである。
おなごにこそあれ、井伊直虎。勇猛な男名をまとい、乱世の荒波に身を投じたこの女性は、疑いようもなく、日の本の平和を築いた、重要な礎石の一枚なのだった。
──完
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