設楽ヶ原の徳川陣営には、岡崎から兵を率いて布陣した家康の嫡男・信康の姿もあった。夜には、父子で碁を打ちながら語り合った。信康は、名物の茶碗をやろうかと、信長から持ちかけられたことを話した。
信康「無礼にならぬよう、お断りいたしましたが…」
信康の妻・徳姫は信長の娘で、2人は義理の親子に当たる。信長の所有する茶碗なら、城が1つ建つほどの価値があるだろう。裏に何かあるのではないか、といぶかりつつ、家康は笑みを浮かべて返した。
家康「織田の舅殿としては、そなたともっと近しくなりたいのであろうの」
信康「それは難しゅうございますよ」
思わず息子の顔を見る家康に、信康も笑顔で言った。
信康「あの方は常なる人ではございませぬ。私は人の子にございますゆえ」
小姓頭は小五郎といった。その男が、少し頼みたいことがある、と、珍しく万千代に声をかけてきた。
連れていかれたのは、穂先や矢尻が錆び、あちこちが傷んだ槍や弓、矢などが山積みになった蔵だった。
小五郎「お主ら、槍の手入れはできるか」
万千代「できぬ武家などおらぬと思いますが」
すると、小五郎と連れの男が含み笑いを見せた。
万千代「何か?」
小五郎「いや、井伊というのは戦はからきしの家、逃げ回っておるばかりじゃったと聞いておったゆえ。槍など使うたことがないのではないかと思うてな」
万千代「それはここ20年ほどの話、井伊は古くは八介*1!武門の井伊といわれたお家にございます!」
代々「介」の官職を務め、当主が名字に「介」を付す尊称を許された八家。井伊家当主は「井伊介」を名乗った。
小五郎「悪かった悪かった。では頼んでもよいか? われらはほかの役目もあってな」
怒りと反発心、そして実績を求める「飢え」を利用し、仕事を押し付けようとしているのが分かった。それでも万千代は、武具の手入れを引き受けた。すべて完璧に直せば、それなりの働きということになろう。
「あのような雑魚ども、小姓に上がればあっという間にごぼう抜きにきて、あごで使うてやる…!」
武田と徳川の戦いは、5月21日未明に火蓋を切った。
徳川の別働隊が、長篠城を囲む武田軍を背後から奇襲。血気にはやる勝頼は、日の出を待って軍を動かし、設楽ヶ原へ突撃させた。その騎馬隊が馬防柵に達しようとしたまさにそのとき、無数の鉄砲が火を噴き、武田の将兵はなすすべもなく次々に倒れていった。
ここで信長は全軍に総攻撃の命を下す。信玄依頼の名将の多くが戦死し、最強と呼ばれた武田軍は崩壊。勝頼は、わずか数騎の従者とともに敗走した。
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