再出陣の支度をした氏真が本陣に戻ってくると、本陣はがらんとしていた。
そこへ、伝令が走ってきた。
「申し上げます! 朝比奈信置殿、岡部忠兵衛殿、関口氏経殿をはじめ、二十一名が逐電いたしました!」
氏真は呆然とした。
戦が始まってまもなく、有力な武将ら二十一名が武田に寝返るという前代未聞の事態に襲われた。
さらには、武田に先を読まれ、賤機山城も武田軍に占領されてしまったというのだ。
もはや氏真は、戦には不向きな今川館に籠もるしか手立てがなくなっていた。
その頃、家康は陣座峠まで軍を進めていた。
そこに井伊の目付たちが訪れていた。
仲立ちの菅沼定盈が、菅沼忠久、鈴木重時、近藤康用らを家康に紹介した。
家康「こたび、徳川に味方し、遠江の先導を務めてくださる由、まことでござるか」
一同「は!」
数正から起請文が渡された。
遠江地方の方々の地を安堵する内容が記されている。
菅沼「ここまで安堵いただけるのですか」
数正「切り取り次第ではあるが、不足はござらぬか」
花押をいれようとしたそのとき、近藤が口を挟んだ。
近藤「お待ちくだされ。井伊がどこにも入っておりませぬが」
数正「井伊はすでに徳川と結んでおるゆえ、攻め入るには及ばず、と」
近藤「小野但馬は実に狡猾な男にございます。井伊と共に徳川に寝返ったと見せかけ、その実、徳川様の首をかくつもりなのではございませぬか?」
近藤は政次を口実にしているが、井伊が切り取り次第にならぬことが不満なのだ。
数正「井伊殿みずから、その者は味方であると言うておられる」
近藤「ですから、井伊殿も但馬に味方であると騙されておるのではないかと」
家康の脳裏に母・佐名の顔が浮かんだ。
佐名を人質に差し出した小野の息子──
恨み骨髄だった瀬名の顔が浮かんだ。
家康「小野但馬とは、さように油断ならぬ男なのか」
近藤「はい。井伊の先代をはじめ、有力な者たちを次々と戦に送り込み、皆殺しにした奸臣にございます。用心の上にも用心を重ねるが肝要かと」
家康はしばし考え込んだ。
近藤「いかがでしょう。われらは井伊の目付でもございました。われらが先に参り、様子を確かめてまいろうかと存じますが」
忠次「そこでおとなしく開門すれば、無事済みましょうし」
家康は頷いた。
いよいよ徳川が井伊谷にやってくる。
直虎は、直之を龍潭寺に呼び出した。
直虎「但馬の手助けをしてほしいのじゃ」
直虎が頼むと、直之はムッとして言い返した。
直之「心得ました。混乱に乗じて、小野の首をかけばよいのですな」
直虎「之の字…」
直之「偽首を出したことで、皆は但馬を信じておりますが、それがしはまだ信じておりませぬぞ。」
直虎「…では、それでよい。ただし、但馬を見て信じることができると思えば、指図に従って…」
そこに慌ただしく南渓が入ってきた。
南渓「殿! 徳川が近付いてきたようじゃぞ」
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