数日後、虎松(寺田心)が飛んできた。
虎松「母は行きたくないそうです。今すぐ、取り消してくださいませ!」
直虎には、しのの真意がわからなかった。
虎松にも分かるように、丁寧に事情を説明した。
虎松「それは、人質というものではないですか?」
直虎「武家の婚儀というのは、得てしてそういうものじゃ」
虎松「嫁ぐのは母上でのうてはならぬのですか?」
直虎「井伊にとって大事なお方なら構わぬが…」
虎松は知恵を絞って考えた。
祐椿尼様は? 出家しておられる。
高瀬様は? 年が釣り合わぬ。
ならば殿は?殿もおなごではないですか!
直虎「われが行ってしまっては、誰が殿をやるのじゃ」
悩んでいる虎松の姿を見ていると、不憫でならない。
しのの真意を探るために、直虎はしのの館を訪れた。
しの「少し焚きつけすぎたようです」
冷静な声で言った。
しの「いずれ虎松は当主となる身。近しい者を人質に出さねばならぬということを考えるよい機会とも思いまして。あえて行きたくないと言うてみせたのです」
嫁ぐ覚悟はできているし、虎松にも最終的には言い含めるつもりだ。
しのはそう言うと、姿勢を正して続けた。
しの「私が嫁ぐということを、うまく取り引きにお使いください。井伊のためになるように。…そして、いつかその話を虎松にしてやってくださいませ」
直虎は涙が溢れそうになった。
必死でこらえ、作り笑顔で「心得た」と返した。
「さんざん考えてくれて、母は嬉しく思いますよ」
うつむいている虎松に、しのは優しく語りかけた。
しの「じつは、虎松が考えている間に、母も考えたことがあるのです。…やはり母は行きたくなってしまったのですが、行ってよいですか?」
虎松「な、何ゆえに!」
しの「父上の望みだからです」
驚く虎松に、しのは冷静に言った。
しの「そなたの父上は、あるお家と仲良くしようとし、殺されてしまいました。…こたび母が嫁ぐのは、そのお家と再び仲良くするためです」
虎松「嘘じゃ!」
虎松が叫んだ。
虎松「母上は虎松と離れたくないはずじゃ。母上は虎松のことが一番お好きなはずじゃ。一番大事なはずじゃ!」
しのは大切なわが子を抱きしめた。
しの「虎松は母の宝です。だからこそ大事にしたいのです」
虎松は黙って聞いている。
しの「母は力強い味方をつくってやりたいのです。母が嫁げば、そこは井伊のお味方の家となるし、子ができれば、そなたの兄弟が増えます」
このまま虎松と暮らしたい。それがしのの本心だったが、それはできない。
しの「笑って送り出してはくれませぬか?」
両腕を目いっぱい広げて、虎松が抱きついてきた。
虎松「お行きになるまで、毎晩虎松とともに寝てくだされ」
しの「もちろんですとも」
虎松を抱きしめながら、しのは静かに涙をこぼした。
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