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2016年大河ドラマ「真田丸」って何?タイトルの由来をチェック!

あけましておめでとうございます!

2016年も始まったばかりですが、新しいNHK大河ドラマが始まりますね。
そのタイトルは「真田丸」

戦国好きの方はすぐにわかる言葉かと思いますが、聞き慣れない方も多いかと思います。
真田といえば真田幸村?「丸」が付くということは真田幸村の幼名?
早速検証していきましょう!

真田丸とは?

真田丸とは、大坂冬の陣の際に真田幸村が大坂城内に築いた出城のことです。
出城とは、城の防御を固めるために構築された城の一区画です。
本丸、二の丸のように城の区画に「○○丸」と名付けていました。

当時の大坂城は淀川や平野川に三方を囲まれており、比較的防御力が高い作りになっていました。しかし南側には平坦な台地があり、敵の大軍が陣を張るだけのスペースがありました。豊臣軍の真田幸村は、大坂城唯一の手薄なこの場所に「真田丸」という名の出城を築きました。

幸村の父・昌幸率いる真田軍は、過去に徳川軍と籠城戦で2度戦っており、どちらも完勝しています。上田合戦と呼ばれる戦い(1585年、1600年)で、真田家の居城である上田城を中心とした防衛戦で徳川軍を撤退させています。

この時の築城技術、防衛戦術が真田丸でも大いに役に立ったと言われています。

真田丸の実力は?

真田家が得意とする築城技術を取り入れ、進化させて作り上げたのが真田丸。
「馬出し」という守りやすく攻めにくい構造を採用し、敵をおびき寄せて反撃する戦術を得意としています。城壁の外側に土塁と堀を設け、正面から敵が侵入できない構造とし、両サイドに敵をおびき寄せます。そこを馬出しや本城の中から鉄砲で攻撃するという仕組みです。

これらの仕組みを応用し、進化させて作られたのが大坂城の真田丸。
多くの絵図で、真田丸は大坂城に隣接した半円の出城として描かれています。高い防御力を誇っていたことは容易に想像できますし、実戦でその実力が発揮されることになります。

大坂冬の陣での戦果は?

大坂の陣の直前に、真田幸村は豊臣秀頼に招聘され大坂城に入城します。
籠城戦を選択した豊臣軍の意向に従い、幸村は大坂城の手薄な場所に真田丸を築きます。
1614年、豊臣軍の居城である大坂城に徳川軍が攻め込みます。
幸村は真田丸に籠もり、大坂城の最前線で徳川幕府軍に大きな損害を与えます。
この戦いでの惨状を知った徳川家康は、全軍に退却を命じます。
この後、豊臣軍と徳川幕府軍の間で和議が結ばれます。

まとめ

真田丸とは、真田幸村(信繁)によって大坂城の一部に作られた出城、砦のようなもの。
大坂冬の陣で徳川幕府軍の攻撃を退け、真田幸村の名は一躍有名になりました。

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