土産
信繁は丘の上に腰を下ろし、ふもとの家を眺めている。真田の郷の地侍・堀田作兵衛の家で、薪を選んであぜ道を行くのは作兵衛の妹・梅だ。
「お帰りなさい」と声がして、信繁の隣に若い娘が腰を下ろした。高梨内記の娘・きりだ。
信繁が目顔で梅を指し、櫛の入った箱をきりに差し出した。渡してきてほしいというのだ。
「なんで私がそんなことしなくちゃいけないの」
土産を渡すなら櫛がいいと勧めたのはきりだが、仲介するためではない。信繁はものを頼むついでのように、きりにはむき出しの櫛を手渡した。
「……しょうがないな」
きりは尻込みする信繁の手を引っ張り、梅のところに一緒に行った。
「源次郎様、お帰りなさいませ」
梅は、新府からの道中、苦難を切り抜けてきた信繁の無事を喜び、安堵の笑みを浮かべた。
信繁はてれてしまい、なかなか櫛の箱を梅に渡そうとしない。きりは面倒になり、信繁の手から包みを奪い取ると、「お土産だって」と梅に伝えながら勝手に箱を開いた。きりのものより、高価そうな櫛が入っている。梅がはにかんだ。
「これを私に?お心遣い、すみません」
信繁はドキドキして、気の利いた返事ができない。折よく、作兵衛が野良仕事から戻ってきた。
「源次郎様!よくぞご無事で!」
作兵衛は全身で喜びを表し、信繁に抱きついた。
そこに、仕事仲間の与八が駆け込んできた。隣村の室賀の者たちが勝手に真田の山に入り、薪を取ろうと枝打ちしていると言う。すぐに追い払おうと、作兵衛ばかりか梅までが鎌をてに駆けだし、信繁がすぐあとを追いかけていく。
残されたきりは、しばしあっけにとられていた。
策略
昌幸は、1通の書状を信幸に手渡した。
「これを上杉景勝殿に届けてくれ。真田の命運が懸かった書状である。お主がじかに届けるのだ」
上杉から、真田を取り込もうとする密書が届いたのだという。信幸は目を丸くした。
「真田は、織田につくのではないのですか!」
「世の中、何があるか分からん。打てる手は打っておく」
信幸は居室に行き、妻・こうを呼んだ。体の弱いこうは、奥の部屋で伏していることが多い。
「支度をしてくれ。旅に出る。真田の行く末を決める大事なお役目じゃ!」
信幸は手早く旅支度を済ませ、昌幸に同行を命じられたという佐助とともに越後へと出立した。
信幸の動きは、真田に探りを入れていた忍びの者によって、すぐに正武や昌相の耳に入った。
「真田昌幸、われらに織田を勧めておきながら、己は上杉につこうという腹」
昌相が苦々しげに言い、ちらりと正武を見た。
隣村の百姓たちが薪用の枝を切っている現場を見つけると、作兵衛の怒りが爆発した。
「てめえら、また来やがったな!」
隣村の百姓たちは薪を抱えて逃げようとし、信繁らと小競り合いになった。作兵衛が腕自慢なのは知っているが、信繁が驚いたことに、梅も鎌を振り回して果敢に戦っている。きりもついてきているが、全く動けない。信繁たちの勢いに負け、隣村の百姓たちはほうほうの体で逃げていった。
「おとなしく見えて、やるときはやるんですね」
信繁が感心すると、梅が恥じらった。親しげな信繁と梅が、きりにはおもしろくない。
皆で山を下っていると、林の中から、疲れきった様子の落ち武者が出てきた。松の夫・小山田茂誠だ。信繁は困り果てた。かくまおうにも、裏切った小山田一族の茂誠を、昌幸が許すはずはない。
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