4月17日放送の真田丸 第15話『秀吉』の詳細なあらすじです。
ネタバレ注意!
あらすじ
真田氏は徳川氏の大軍をみごと撃退した。だが、信繁は戦場で妻の梅を失う。上杉景勝に従って傷心のまま大坂を訪れた信繁は、多くの人たちと出会う。
大坂城の大広間に通された信繁の前に、突如現れた秀吉は、自分が秀吉だと名乗らぬまま屏風の裏側に信繁を連れこんだ。唖然とする信繁をよそに、福島正則に用意させた安手の着物に着替えた秀吉は、ようやく自分が秀吉だと認めると、景勝と会うのを先送りして信繁を連れだそうとする。正則を護衛につけた秀吉は、こそこそと出かけていき、信繁は最後尾から従うのだった。
石田三成が、秀吉の脱ぎ捨てた着物を見つけたのは今回が初めてではなかった。呆れる三成を前にして、事情を知っていた片桐且元は気まずそうに留まっていた。
秀吉たちは、遊郭で吉野太夫の舞を見物しながら升で酒を飲んでいた。秀吉は太夫に惚れこんでいたのだが、太夫は秀吉を相手にせず去っていってしまう。それでも秀吉は上機嫌で酒を楽しんでいた。大酒飲みの正則が大きな升で酒を飲んでいる姿を見て笑う秀吉だったが、ふと思案顔になる。信繁が景勝に会わずともいいのかと訊いたとき、我に返った秀吉は、信繁の父・昌幸にはほとほと手を焼いていると愚痴をこぼすのだった。
その直後、襖が開いて顔をだしたのは三成だった。秀吉が仕事を放り出して向かうのはここしかないと、三成は嫌味な物言いをした。すると、信繁が大坂を楽しみたいと言うからしぶしぶ連れてきたのだと、秀吉は信繁に責任を押しつけようとする。そんな秀吉に困惑しながらも、信繁がさすが大坂だとその話にあわせると、気の利く信繁に秀吉は上機嫌になる。信繁たちの猿芝居に呆れつつ、三成は秀吉を城へ連れ戻そうとするが、秀吉は景勝には明日会うとして城に戻ろうとはしなかった。そのとき信繁が突然、姿勢を正して言う。
「殿下、左様にご多忙の折に、私ごときのお頼みを叶えてくださるとは、申し訳なき限り。私はぞんぶんに楽しみましたゆえ、どうかお城にお戻りくださいませ」
信繁に促されてようやく立ちあがった秀吉は、ふと思いつき、三成に会合の連絡を流しておくよう命じる。
その夜、上杉景勝は信繁に、秀吉への謁見が翌日になったことを伝えると、秀吉と真田氏との関係の斡旋を約束する。信繁は、景勝よりも先に秀吉に会ったことなど言えるわけもなく、複雑な表情で礼を述べるのだった。
客人
石田邸の居室に戻った信繁は、三成から秀吉の相手をしたことに対して労いの言葉をかけられると、客人を引きあわせたいとして三成の居室へ通される。その客人とは大谷刑部吉継だった。わずかな軍勢で徳川氏の大軍を破った真田昌幸を名将と称賛した刑部は、以前より三成とともに秀吉を支えてきた者で、大坂一の切れ者として知られていた。三成は、刑部を堺代官に任じようとしていたのだが、刑部はこれを拒んでいた。
堺代官の話を刑部が断ち切ると、信繁が三成に、なぜ自分のことを秀吉には伝えていないと嘘をついたのかと切りだす。三成がそれをかわそうとすると、そこに加藤清正がやってきたという知らせが入る。昨晩、酔って正体を失くした清正が三成に謝罪に来たのだ。三成が清正に会うため居室から出ていくと、信繁は刑部に、三成が信繁への態度を急変させたのが腑に落ちないと語りはじめる。それに対して刑部は、三成には理が立ちすぎて人を立場で計ってしまうところがあるのだと説明すると、三成が素っ気なかったのは信繁を低く見ていたからであって、嘘をついたのも話したくなかったためだと推論する。そして急にそぶりが変わったのは、秀吉が信繁を気に入ったので、三成も大事な人と認識したからだと解説する。不快な思いをさせた信繁に、刑部は三成に代わって詫びると、三成も悪い男ではないのだと擁護する。
そんな刑部は、信繁に忠告する。
「ただ、殿下はひとたび気に入った若者は、始終そばに置いておきたくなるお方、いろいろと面倒になるぞ、これから」
その言葉に不安を覚えつつ、信繁は刑部と酒を酌み交わすのだった。この大谷刑部少輔吉継の娘・竹林院が、やがて信繁の正室となって信繁の人生に大きく関わってくることになるのだが、それはまだ先の話である。
得体のしれない秀吉
翌日、上田城の昌幸のもとに、秀吉から上洛を促す書状が届いた。しかし昌幸は、大坂には信繁がいるから心強いとして、もうしばらく静観することを決めこむ。
信繁ばかりを頼りにする父に、信幸は淋しさを覚えるようになっていた。作兵衛はすえをあやすのに手いっぱいで、出浦昌相に弟子入りした佐助は空蝉の術や火遁の術の訓練に励んでいた。しだいに信幸は自分の居場所がないと感じるようになったのだが、そんな信幸は土塀の隙間から生えた雑草を見つけて、妻のこうとともにむしる仕事に喜びを見いだすようになる。
一方、昌幸は薫に膝枕をしてもらいながら、秀吉の軍門に降ると薫の城をつくるという約束を果たせなくなるかもしれないという懸念を打ち明けていた。それに対して薫は、昌幸についていくだけだと笑う。そんな薫と話すうちに、目の前の悩みもたいしたことではないように思えた昌幸は、秀吉につくにしても、あくまで強気でいくと言いだす。自分が強気でいっても、大坂の信繁が取りなしてくれるだろうと考えたのだ。そんな夫に薫は、息子は信繁だけではないと言い聞かせる。すると昌幸は、乱世が過ぎて世の中が落ち着いたときこそ信幸の出番で、荒れ果てた土地を再び耕し国を立て直すときこそ信幸の生真面目さが役に立つのだという考えを示すのだった。
天正十四年(1586年)六月十四日、上杉景勝は秀吉に拝謁した。秀吉は越後の本領を安堵すると、景勝を従四位下、左近衛権少将の位に任じ、今後は真田氏への肩入れは無用と言い放つ。一向に上洛しない昌幸を懲らしめるため、そして真田征伐に乗り出す家康に恩を売るため、上杉氏が真田氏の肩を持つと困ると伝えたのだ。真田氏との盟約を反故にせよという命令に、景勝は動揺を隠せずにいた。そんな景勝の心境など素知らぬ顔で、秀吉は千利休の点てた茶を飲んでいくように促す。
茶室
景勝は信繁に、真田氏を裏切るよう命じられたことを言えないままでいた。するとそこに三成がやってきて、景勝と信繁に茶席につくための着替えをすすめる。茶のたしなみなどない信繁は困惑しつつ、きりに着替えを手伝ってもらうと、茶室へと向かった。
茶室で景勝は、秀吉に信繁を紹介し、信繁も初対面を装った挨拶をする。しかし秀吉は、信繁に昨日会ったではないかと言いだす。秀吉は、信繁が景勝より先に謁見して申し訳なく思っていることを指摘して楽しんでいた。
そんなとき、利休が茶室に入り茶席がはじまった。この利休は、もとは堺の商人だったが、茶人として道を極め、今は秀吉の相談役という立場にあった。このあと秀吉と景勝が順に茶を飲み、信繁の番となる。ところが、秀吉がその寸前で茶席を中断し、景勝と信繁に先に退室するように命じた。
ふたりが茶室を出たあと利休は、景勝がどこかで踏ん切りをつけて最後は心穏やかに茶を飲んでいたと見立て、景勝が秀吉の臣下につくことを断言する。当の景勝は、茶室の外で信繁に、これまでの生涯でいちばん苦い茶だったと本音を漏らすのだった。
会合
一方、信繁の着物を持ったきりは、廊下で豊臣秀次と出くわす。秀次は、鷹狩りの折に見つけた枇杷をきりに託すと、ねねに渡してほしいと告げ、会合へと向かう。
そのころ、大広間では秀吉、三成、且元、実弟の羽柴秀長、そしてすべりこんだ秀次が集まり会合が開かれようとしていた。秀吉に命じられた信繁も、その隅で見守ることになった。それは検地についての会合だった。これまでも検地は実施されていたものの、米を計る升が統一されていなかったため、意味をなさなかった。秀吉はその升を統一して、全国の石高を明らかにしようと考えたのだ。秀吉は、国によって使う升を揃えるという大仕事の頭に三成を任じ、検地を推進することにした。
その会合を終えると、秀吉は信繁を連れて茶々のもとへと赴く。秀吉は、茶々と信繁と大蔵卿局と車座になって天正カルタ(現在のトランプの一種)に興じ、神経衰弱ゲームの要領をすぐに飲みこんだ信繁は次々と札を引き当てていった。そんななか、廊下に座る馬廻衆の立花権三と茶々が互いに目くばせをするようすを、秀吉は冷たい表情で見つめていた。信繁が、この上なく冷たい目をする秀吉に驚きつつ、そのあとの成りゆきを見守っていると、まもなくカルタは短気な秀吉が置いてあった札をぐしゃぐしゃにして終了となった。
その場をあとにした秀吉は、いずれ茶々を側室にするつもりだと信繁に告白する。
一方、ねねは茹でたてのサトイモを、加藤清正や福島正則、まだ少年の木下辰之助(のちの小早川秀秋)にふるまい、縁側でなかと秀長がそれを眺めていた。そこに秀次、さらに秀吉と信繁も合流した。信繁は、秀吉とその家族たちと幸せなひとときを分かちあったのだった。
しかし、やがてこのなかのひとりは、別のひとりによって切腹を言い渡され、少年は自分のしたことの罪の重さに苛まれ、21歳の若さで謎の死を遂げることとなる。
ねねの手伝いをしていたきりは、秀吉が天下人とは見えず、どこにでもいそうな男だと感じていた。しかし信繁は、秀吉のような男は見たことがないと思うのだった。
(続き:第16話)
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